at backyard

Color my life with the chaos of trouble.

出産

先日娘が産まれた。

これは娘が産まれる数日前からつけていた、出産に関する日記である。

11/某日 入院1日目

ポキンという音がしたと妻が言った。
はじめは関節が鳴る音かもしれないとのことだったが、我々にとっては初めてのことなので、大事を取って病院に向かう。

診察を受けたら、破水だった。
高位破水というやつだったらしい。
高位破水は気づきにくく、妻の場合ほとんど水は出てきていなかったが、それでも破水に変わりはないとのこと。
その場で入院が決まり、諸々の手続きや準備を行う。
(ちなみに後から話をしたが、あのポキンという音は破水の音ではなく純粋に関節がなった音のようだったとのこと。それでも大事をとって病院に行ったのは本当に良かったと思う)

会社にはSlackでその旨を報告した。赤ちゃん絵文字のリアクションなどがたくさんついた。
前向きに反応してくれることは、夫婦だけで出産・子育てを行おうとしている我々にはとっては、とてもありがたいことだ。

11/某日 入院2日目

入院2日目。

洗濯物を受け取り、洗濯済みのものを妻に渡しに行くため、朝から病院へ向かう。

病院に着くと病室には妻はおらず、ひとまず病院の待合室で待つことにした。

彼女を待っている間、待合室のテレビをぼんやりと眺める。自宅にテレビがないので、つまらないと思い込んでいたテレビでも、その新鮮さゆえに結構見れてしまう。
だが、内容は三歩歩けばすぐ忘れるようなものばかりで、これだったらSmartNewsみてる方がマシかもと結局思う。
見たくないCM見せられるのは苦痛だし、興味ないコンテンツが流れ始めると興味ゼロになる。
今後もテレビは必要ないと改めて感じた次第。

やがて彼女から連絡が来た。どうやら、分娩室に近い別の部屋で赤ちゃんの容体を測定する装置を使って定期的に赤ちゃんの状態をチェックしながら横になっているようだった。
軽く会話をして洗濯物を受け取り、家に戻り仕事。妻の体調はまずまずといったところ。突然の入院による疲れが少し見える。

夕方ごろに再び病院に行くと、陣痛促進剤の影響で陣痛が五分おきぐらいに来ていた。痛そうだ。
陣痛が来るたびに腰のあたりをさすりながら、あまりフォローになっていないフォローをする。

病院飯を妻の代わりに食す。思いの外、美味しくて、孤独のグルメばりに勢いよく食す。

陣痛が引いている間、日本のテック企業のエンジニアブログを読んでいた。
LINEのエンジニアがJavaについて書いている記事を見る。私も数年前まではJavaを触っていたが、もはや忘れているし、大して理解しているわけでない。
だが、このLINEの方が書いた記事はとても分かりやすく、興味深く書かれていた。たぶん自分よりもはるかに知識も技術力も文章力もあるのだろう、と純粋に感心してしまった。
純粋に感心している場合かとも思ったが、病院の一室で定期的に陣痛が来ているという、ある種の閉鎖的な環境でそのような外部の刺激に触れると、水を吸い込むスポンジのように感受性が豊かになるものだということに気づいた。

関係ないが、このブログで一番読まれている記事はeclipseの設定をいじって、軽くする方法を記述した記事だ。
私はJavaの能力はそれほどないが、重いeclipseに対しての憎しみだけは誰にも負けない。などと大して面白くもないことを書いてみる。

shinshin86.hateblo.jp

11/某日 入院3日目

今日も朝から病院にきて、妻が半分近く残こした病院飯を代わりに平らげる。
うまい。病院飯というと薄味を想像するが、全くそんなことはなく、ふつうに味付けがしっかりされている。
普通に店で食べる、美味い定食屋の朝ごはんだ。

今日も陣痛促進剤を投与、今日中には生まれる予定のようだ。
会社には状況を説明し、今日一日休むことにした。

陣痛促進剤が投与されると、それほど時間がかからずに陣痛がやってくる。
この陣痛の痛みに対して、子宮口が開ききるまではイキムことはできず、やってきたイキミを逃す必要がある。それがかなり大変そうだった。

陣痛の波が来るたびに今日も背中をさするなどのフォローをする。
陣痛の波や赤ちゃんの心拍を計測するセンサーが母体には付けられており、部屋の中には常に赤ちゃんの鼓動がスピーカーを通じて鳴らされている。

陣痛が来たかどうかを表す数値をずっと見ていると、陣痛が来るタイミングが自然と分かるようになってくる。
そのうち妻が何も言わずとも、陣痛がやってくるタイミングで自然にフォローに入るようになる。

赤ちゃんの位置が下に降りてきたようなので分娩台に移動。私も立ち会う。
が、その前に昼食がやってきた。
私が食べることになったが、すべて食べ終わる前に入室の時間が来る。
パパになる前に食べた最後の食事は、キノコの和風パスタだった。


分娩室に移動。手を入念に消毒し、手術室でよく着るような術衣(?)のようなものを着用し、髪の毛全体が覆われる帽子を被る。
オペ室によくある明かりに照らされながら、団扇をあおぎ妻をサポートする。

もうこの時点で子宮口は充分に開いているため、あとは赤ちゃんを外に出すだけとなる。
これはこれで苦しそうだが、後から思い返すとイキミを逃してたときが一番辛そうだった。

助産師さんにペースを作ってもらいながら、イキミ続け、あるタイミングで赤ちゃんが子宮口を通って、この世に誕生した。

その瞬間はなんと言えない一瞬だった。

出てきた瞬間に甲高い産声をあげた娘を見ていると、今までに感じたことのないような感動を覚えた。目頭が熱くなった。

へその緒が切られ、体重測定やその他のヘルスチェックを手際よく行われていく娘をぼんやりと眺めながら、写真を撮っていいですよーと助産師さんに言われ写真を撮る。

我が子がiPhoneのカメラに収まる最初の瞬間だ。家族や友人に送り、社内のSlackに投稿した。

10ヶ月近くお腹の中にいたのに、外に出てきていきなり人間としての人生が始まる。それはやはりドラマチックなことだなと思う。

出産の後に

出産が終わった後につくづく感じたことがある。
出産に立ち会って良かったと。

最初、出産に立ち会っても、もしかしたら大した感動はないのではないか?という不安が微かにあった。
それは自分自身が出産というものをうまく想像することができていなかったからだと思う。

だが、実際にこうして出産の数日前から、いや妊娠が発覚した時からおよそ10ヶ月の間、妻とともに健診に参加するなどして、妊娠・出産というものに関わっていると、その時に考えていた色々なことが一気に集約されて出産の時に溢れ出した。

今だって言葉が高原の湧き水のように溢れ出すから、それを忘れぬようにこうして日記をつけているのだ。
妻とともに妊娠生活を送り、さらには出産に立ち会ってその一瞬を共に過ごせたことは、私にとってかけがえのない時間となった。