at backyard

Color my life with the chaos of trouble.

チャーリー・ブラウンの心情から見る、人間模様の奥深さ(スヌーピーのバレンタインより)

先日、娘にピーナッツのDVDを見せていた。
(私は昔からピーナッツが好きなので、娘に見せつつも自分も楽しんで見ていた)
見せていたタイトルは、スヌーピーのバレンタイン、だった。

バレンタインデーもピーナッツの仲間たちに夢中!
バレンタインデーを間近に控え、ピーナッツの面々は期待に胸を膨らませています。バレンタインデーと言えばキャンディー、花束…そして気になるあの子からのメッセージカード。
スヌーピーチャーリー・ブラウン、ライナス、ルーシー、いつものピーナッツの仲間たちが贈る、心温まるバレンタインデーのエピソード。お節介焼きのスヌーピーがキューピッドを気取ってチャーリー・ブラウンの恋をお手伝い。果たしてチャーリー・ブラウンの恋の行方は?

スヌーピーのバレンタインとは【ネタバレあり】

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スヌーピーのバレンタイン(原題は、Be My Valentine, Charlie Brown)についてざっくりと説明すると、 ライナスが大好きな学校の先生に大きなハートのチョコレートを送ろうと悪戦苦闘するエピソードを中心に、 いつものピーナッツの面々がてんやわんやしているストーリーである。

チャーリー・ブラウンはたくさんのバレンタインプレゼントをもらえるだろうと当日を楽しみにしていたのに、結局誰からももらえない結末にいたり、 彼が思いを寄せている赤毛の女の子からも当然プレゼントももらえずにバレンタインが終わる。 また、ライナスもバレンタイン当日に大好きな先生にプレゼントを渡しにいこうとするも、先生は恋人とデートのために学校を去っており、結局チョコレートは渡せずに終わる。

という、あらすじだけ書くと、なかなか悲しい内容となっている。

上に書いたのはざっくりとした内容で、他にも想いが完全に一方通行状態のサリーがいたり、ここらへんのドライな感じはさすがはピーナッツといった感じがする。
だが、それでも重苦しい感じにならず、古き良きポップなテイストな色濃くでているところも、さすがはピーナッツと言ったところ。
スヌーピーウッドストックの動きが本作においてもとてもコミカルで、それがこの悲しげなValentineを可愛く彩るのに大きな役目を果たしている。

文章だけを見ると悲しい話に思えるが、なかなか奥が深く、名作と言ってもいい出来だ。

チャーリー・ブラウンの心情から見る、人間模様の奥深さ

このアニメの最後の方で、バレンタインの翌日、誰からもプレゼントがもらえなかったチャーリー・ブラウンを不憫に思い、女の子たちがプレゼントを渡しに来るシーンがある。 しかもバレンタイン当日に誰かからもらったプレゼントを可愛そうだからあげる、といった感じで、シチュエーション的にはなかなかにエグいものである。
(ここらへん、子供ならではの残酷さがうまく描かれていると思った)

すると、傍に一緒にいたシュローダーが、そういうのは良くないと、彼女たちに怒り出す。 シュローダーの怒りは至極もっともなもので、このアニメを見ていた大人たちが皆感じていたことを見事に代弁してくれている。 だが、チャーリー・ブラウンはシュローダーを止めて、ありがたくプレゼントをもらうことにする。

その後、チャーリーはいつものレンガの壁(※)でライナスに「シュローダーには悪いけど、僕は彼女たちが少しだけでも僕のことを考える時間をもってくれたのだと思うと嬉しくなるんだ。」と自分の気持ちを伝える。

※ピーナッツを知っている人ならわかるだろうが、心の中を吐き出すときにいつも立ち寄る(?)煉瓦の壁の場所があるのだ

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このセリフはなかなか奥深い。
チャーリーのこのセリフをポシティブ思考と捉えるか、哀れと捉えるかは人によって様々かもしれない。
社会的生き物としての悲哀が詰まったようなセリフのようにも感じられる。

我々はいつも何かを求めているが、それが手に入らぬことも多く、そのたびに失望する。
何度自分は失望してきただろうか?
そんなことを振り返りながら、このチャーリーのセリフを思い返すと、かなり心に来るものがあるし、妙に考え込んでしまう。

ピーナッツを大人が見ても楽しめる漫画と捉える人は多いと思う。
そういう側面をまた一つ発見した気がした。

スヌーピーのバレンタイン、とても良い作品なので、おすすめですよ。