at backyard

Color my life with the chaos of trouble.

日々のあわを書き記しておく(日記)

タイトルに使った日々のあわ という言葉は、昔なにかの雑誌で掲載されていた女優の宮崎あおいさんのエッセイか何かのタイトルだった気がする。

「日々のあわって良い言葉だな、言葉のチョイスが秀逸だな」、などと若かりし頃の自分は偉そうに感心していた記憶がぼんやりある。
そんな恥ずかしいエピソードなども一瞬でかき消えてしまうほどに、日々は慌ただしく過ぎていく。

年が開けたばかりだと思っていたらもう3月だ。
風はまだ冷たいが、子供と外を散歩しているとき、ふと春の足音を聞こえる瞬間があり、その頻度は少しずつ増えていっている。
近所の家の庭先には梅の花が咲き、鳥の声も以前よりも騒がしくなっている気がする。

そんな感じで季節の移ろいを感じる日々だが、そんな春の陽気さとは裏腹に現在の世界情勢はとても緊迫している。
もちろん、ロシアとウクライナのことだ。 戦争は人為的なものでありパンデミックとはまた異なる。未だにこういう事が起きてしまうのはとても悲しいことだと思うと同時に、そんな状況でも視野を広く持ち、冷静に情報を得ていかなければならないと自分に言い聞かせる。
感情的になってしまうのは一番良くないことだ。
だが、SNSをみると少なからずそういう発言を見てしまうことがあり、そんなときに予想していた方向とは別の方向からボディブローを食らったような嫌な気持ちになる。その気持は自分にとっては不要な感情なのだが、それはひどく不快なので無視することが難しい。
視野を広く持ち、冷静にならなければならない

話題を変えよう。育児の話だ。

子供は日に日にパワフルさを増し、私と妻の日常を無慈悲に破壊していく。
しかもイヤイヤ期にも差し掛かってきたのか、我々の要求をことごとく突き返すという行動も取るようになってきた。
会話のバリエーションも増え、少しずつこちらに明確な意思表示を示すようになってきたのでこれは紛れもない成長だと喜ぶと同時に、日常における負担が増えてきたのもまた事実。
この局面をどう対処していくか、おそらく全国の親たちが日々頭を悩まされていることだろう。
我々もこの問題についての対処を検討していく局面に差し掛かっている。

ところでここ最近また子供にYouTubeを見せる機会が増えてしまっていたのだが(夫婦どちらも手が離せないときはこれが手放せない...)、ある日妻が一日絶対にYouTubeを見せない、という日を作ってくれた。
すると次の日以降、あれほどYouTubeを見たがっていた子供がYouTubeをせがまなくなった。
この事実から考察するにYouTubeを見たいとせがむのは本来の欲求が何割かはあるものの、残りは中毒症状なのだと改めて感じた次第である。
そもそも、YouTubeを見ると言ってもちゃんと見ているのは最初の5分ぐらいで後は惰性で見ているような状態が最近は増えていた。
YouTubeを見せない最初の一日目は怒り狂っていたが(中毒症状だと思う)、次の日からはYouTubeという言葉を発しなくなったのには驚いた。

最後、駆け足で書いてしまったが、まあ、そんなこんなで慌ただしく日々を生きている。
日常の下敷きになっている感情はまだまだたくさんあるが、それをここにすべて書き残すには時間が足りない。

私の日々のあわはこれにて以上。