at backyard

Color my life with the chaos of trouble.

Mediumに投稿しても全然アクセスが集まらなかったことについて考えてみる

先日Mediumに一つ記事を英語で投稿した。

medium.com

少し前にメタタグを生成するためのCLIツールをGoで書いたのだが、それに関する投稿だ。

github.com

で、このMediumの記事だが、今日現在Statsを見てみると、4回しか見られていない。
(うち3回は自分でアクセスしている気がするので、たぶん、一人にしか見られていない)

これはちょっと落胆した。というのも、例えばこのはてなブログにしても、Qiitaにしても何かしら書いて投稿すれば当日中に数十アクセスは行くからだ。
勿論、私の知名度の無さ、またMediumでそもそも大して投稿はしていないので、アクセスが集まらないのは当然だ。
だが、それでも新着フィードにのったりして、どこかの馬の骨かわからないやつのポストでも一応開いたりはしてくれるのだろうと思った。5アクセスぐらいはいくのではないかと思っていたのだが、、、

実際、Qiitaの場合、アカウント開設して何かしらの投稿をしても10ぐらいはいきなりアクセスがあった気がする。 Qiitaユーザは別のQiitaユーザの投稿もよく見るし、tagなどから該当する投稿にたどりついたりするなど、ユーザが循環する仕組みが良くできていると思う。 Mediumの場合、たぶん同じくMedium内でユーザが循環していくような仕組みがあまりないのかと思った。

というか、それほどMediumではそのような使い方が想定されていないのかもしれないと思った。

Medium – Where good ideas find you.

上に貼ったのはMediumのトップページだが、そもそもトップページからMediumで書かれた投稿へのリンクがない。

The most insightful stories about Go - Medium

こちらはタグのページ。
Mediumは投稿にタグを付けられるが、こちらから確認できるタグに紐づく投稿の数はそれほど多くない。また、2ページ目にいくためのページネーションもない。

どこかの記事でMediumは書くことに集中できるよう、また読むことに集中できるようなデザインにしている、という文章を読んだことがある。おそらくはサイト内で交流を育むというよりは、書いたものを公開する場所として、ある種独立した場所だけを提供しているような感じなのかもしれない。
Mediumに書いた、というよりは、場所は関係なく、書いた、そして書いた場所としてMediumを使っていた、的な。
(ただ、もしそういうコンセプトなら、ブラウザから開いた時に執拗にアプリから開くことを促さないで欲しいとは思うが。あれはなかなか気が散って体験としてあまり良くない気がする)

と、ここまで書いておきながら、ただ単に自分の知名度の問題でアクセスが集まらなかっただけなら、それはそれで事実を受け止めよう。。。